同じ川に同じ橋はかからない
ナラティブ(物語り)とは何か?
ゆく川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず(方丈記より)
川は絶えず流れており、同じ水は流れていない。
「い」という瞬間に流れている水と
「ま」という瞬間に流れている水は
異なる。
つまり、瞬間、瞬間によって川は変化し、同じ川というものは存在しない。
同じ川の流れには二度と入れないのである。
これはナラティブ(物語り)にもいえることである。
ナラティブ(物語り)とは
物語りは「橋をかける」働きを多く持っている。
物語りを語ることは「橋をかける=関係づける行為」である。
最も分かりやすい例は
「語る」ことは「語り手」と「聴き手」をつなぐことである。
語り手は(目にみえなくても)聴き手を思い浮かべなければ、物語りを頭の中で組み立て始めることさえできない。(中略)この語り手と聴き手をつなぐ架け橋が、実際には大変複雑なものであるということが分かってくる。
あるお話を語り聴かせようとするとき、
語り手は「全く同じ」物語りを繰り返して語ることができない。
なぜなら、
語り手による語るという行為そのものが、お話自身を変化させ、
また
聴き手の立場からいえば、語り手によって語られたお話を正確に「聞き取る」ことは誰にもできないからだ。
語るという行為そのものが、瞬間瞬間で変化することはいいだろうか。
聴くという行為は、身を入れてきくということである。
『類語国語辞典』(角川書店)・・・「聞く」は、音や声を耳に感じ認める意、「聴く」は、聞こえるものの内容を理解しようと思って進んできく意である。
この身を入れて理解しようとする行為は、相手を慮りながら自分で解釈しようとすることに繋がる。
※“身”というは自分の身である。
逆に聞くという行為は、情報として受け取るという意味合いが強い。
どんなお話にも、その表面に現れる意味と意図された深い意味との間には、ギャップが必ずある。聴き手は、世界の有り様を想像し、語り手の意図を想像しながら、これらのギャップを埋めていくのである。このように、より正確にいえば、私達はお話を聞いているのではなく、聞いていると思っていることについてのお話を自分自身で作り上げているのである。
「お話を語ること」と「お話を繰り返すこと」とは、微妙にではあるが異なる行為なのである。
この語り手と聴き手と結ぶ「橋」、つまり「物語り」に
全く同じものはない。
全く同じ「橋」はないのである。
同じ川に同じ橋はかからない。
では川とはなんだろうか。
川を構成する水とは何を表しているのだろうか。
私の答えはまだ出ていないが、このヤフー知恵袋の答えが秀逸だったのでのせておく。
医療における物語り
「医学教育には、唖然とするようなことがある。その最たるものは、2年半にわたって、全ての人は同一であるという前提に基づく教育をたたき込まれた後で、今度は全ての人はそれぞれ異なっているという赤ちゃんの時から経験的にわかっていたはずのことを、医学生は自力で再発見しなければならないということである」(プラットPlatt R)
全ての人を同じとみなす医学
患者から物語りを抽出して、それを「病歴」という医学化された物語りに変換する
全ての人はそれぞれ異なっているとみなす医学
実際に生きた体験としての物語り
私達は「病歴」を向う岸から橋を渡って運び戻し、患者が構築しようとしている「実際に生きられた体験としての物語り」に、それをうまく結びつけることができるように助けることが必要である。
この「生きた体験としての物語り」を通じて、患者は自身の「病い」に意味を見だすことができるのである。
医師と患者の交流では
物語りは橋を渡って行ったり戻ったりをしながら、
一方の岸では医学的な観点から「病歴」をみて、
反対の岸では「生きた体験としての物語り」として語られることを繰り返す。
私が医療において心がけたいと思っていること。
「ナラティブ・ベイスト・メディスン」より
編集 トリシャ・グリーンハル/ブライアン・ハーウィッツ
※今回の記事は、ほぼこの本の引用を使っています。
ただ、全てを引用にすると分かりにくいと思い、引用を外している所が多々あります。ご注意ください。
※ツイッターやってます!
家で勉強できない➡︎できる!DaiGoさんの片付けの心理法則を読んで
「人生を思い通りに操る 片づけの心理法則」✖️家で勉強できない人
もともと私は、家で勉強することができない人でした。
受験生時代も、常に予備校で勉強し、家は帰って寝るだけ。
大学に上がった後も、大学の図書館やコンビニなど、自宅以外で勉強していました。
しかし!!!
今年、
年始年末を挟んで、
大きな試験が目の前に立ちはだかった……!!!
落ちると即留年確定w
また、勉強期間となる年始年末は、
時期的に図書館は開いておらず、外の勉強するスペースはお祝いモード…
受験生に世知辛い……
ということで、急遽、自宅で勉強できるようにしなければ、
試験落ちる→留年→死亡フラグ→おワタ
ここで友達から紹介してもらった、
メンタリストのDaiGoさんの本を偶々手にとり、
これだっ!!!
と思ったのでやってみた所、
筋金入り(8年ぐらい)の自宅で勉強できないマンだった私が、
家で勉強できました!
家で勉強できない泣。の方はぜひ読んで、試してみてください!
その前に注意事項
私は「やる気スイッチ」など信じない人です。
やる気スイッチがあれば……と言って、
やる気スイッチを探して勉強をしない言い訳にするのはカッコ悪いです。
やる気にさせるものはあるかと思います。
ですが、自分がやりたくても、やりたくなくても、試験は待ってくれません。
ぶっちゃけ、気持ちなんてどうでもいいんです。勉強さえすれば。
自分も昔はやる気スイッチを探してました。
でも試験は待ってくれませんでした。
今でも私のスイッチは見つかってません。
私は探すのを止めました。
なので、ここで話すことは、
貴方をやる気にさせる方法などではなく、
貴方の行動を環境によって既定させる方法です。
これをアフォーダンスといいます。
※後で説明します!
片づけの心理法則×自宅で勉強
デスクは「聖域」であるべきです。
(中略)
特に、仕事前にまず片付け、というルーティンは、とりかかりを遅くするので絶対に習慣にしてはいけません。
なぜとりかかりを遅くするのがいけないのか?
これは、心理学者シェーン・エイカーの「20秒ルール」に基づいている。
人間は、とりかかるときに必要な時間を20秒短縮するだけで、それを習慣化できる。逆に、20秒余計に時間がかかるようにするだけで、習慣を止められる__。
つまり、やりたくないけどやらないといけないもの(勉強)をするには、とりかかるまでの時間を20秒減らす工夫をする。
逆に、やりたいけど試験前はやらない方がいいもの(ゲームなど)をしないためには、ゲーム機を毛布でくるみ、何重にもして、さらにそれを押入れの奥の方に隠すなど、始めるまでに20秒かかる工夫をする。
ではとりかかるまでの20秒をどう工夫するか?
「とりあえずボックス」で初動を早める
デスクの上には何もない……という状況が理想的ではあるが、現実問題、そうはいかない。そんな時、
デスクのまわりにあふれたモノを一時的に入れておく「とりあえずボックス」を作りましょう。机の上にあって邪魔なモノは、とりあえずそこに放り込んでしまう箱です。
(中略)
大事なのは、余計なモノをとりあえずボックスに入れたら、いったん忘れることです。
机から箱に移してもその存在が気になってしまっては作業に支障がでます。なので、とりあえずボックスは目につかない所へ追いやりましょう。
ちなみに今の私の机の上です↓(周りは汚いw)
アフォーダンス×勉強に集中
アフォーダンスとは、「環境が行動を既定している状態」のことです。
たとえば、トイレにいった時、用を足しますよね。椅子が目の前にあったら、座ります。ドアがあれば押します。
このように「なんとなく取るべき行動がわかる状態」がアフォーダンスです。
(中略)
やるべきことに集中できる環境をつくるためには、デスクではやるべき作業と関係のないことをしないようにしなくてはいけません。
たとえば、デスクのパソコンで映画を観てしまうと、「ここは仕事だけでなく、映画を観るためにも使う場所なんだ」という意識が脳に植え付けられます。机に向ってもなかなか集中できない、という人は、こうした誤った習慣づけをしているのです。
家で勉強できてない皆さん、これ、やってませんか?
勉強机の上でご飯とか、食べたりしてませんか?
LINEとかやったりしてませんか?スマホいじってないですか?
私はまさにこれに当てはまっていました。
自分で自分の行動を既定してました。それも無意識のうちに。
逆に、意識さえして、やらないようにすれば、
自分で自分の行動を意識的に既定できるんです。
私は、自分の勉強机に向かった時は勉強以外のことはしないように心がけました。
「アフォーダンス」の最適化:誰もがその用途をわかるように
このアフォーダンスを利用して、その環境に置かれた瞬間、何の行動をとればいいのかということが一発でわかるようにしておくことで、とりかかりを最速化することができます。
(中略)
そうはいっても、自分は意志が弱くて、ついついデスクでスマホをいじったいり、
(中略)
しかし、そういう人でも、トイレで食事をしないことに意思の強さを必要としなしはずです。問題は意志ではなく、アフォーダンスデザインなのです。
そこで、デスクで余計なことをしないようにするために、(中略)付箋を利用しましょう。
デスクで「やっていいいこと」を3つ付箋にかいて壁に貼り、そのどれかをやる方式。
その3つは自分で選ぶ。(例えば、勉強、日記、ブログを書く)
自分は、勉強でやることリストを窓のガラスに貼っていた↓
基本的に勉強一択でした。
その他、ためになること
翌日に何をするか、一目でわかるように片付ける
やるべきことが決まっていて、そのために必要なものがデスク上にあるのは、散らかっているのとは違います。むしろ、仕事へのとりかかりを最速化するための、最も片付いた状態だといえるでしょう。
充電器は玄関に設置
これはできなかった笑。でも勉強部屋とわけて充電器とスマホは置いた。
スポットライトを使って集中力をコントロールする
集中するための照明の基本はスポットライトです。
自宅で仕事や勉強をするときは、部屋の中の照明を切って、デスクの手元だけをスポットライトで照らしましょう。すると光が当たっている狭い範囲にだけ注意が向くので、集中力がアップします。
これはやりました。写真のここ↓
でも、途中から電池がきれて、つかなくなりましたw
そのころには習慣化できてたので、最初にお世話になった感じです。
デスクは実用性で選んではいけない!
機能で判断するよりも、とにかく気に入ったものを選ぶ。これは、デスクに限らず、家具全般についていえることです。
以上となります。
基本的に、上の2つをメインにやってみてください。
ぜひ自宅で勉強できない方は参考にしてみて!
※ツイッターやってます!
白雪(ハクセツ)@気づけは唄っている (@not_RhymedSnow) | Twitter
おまけ
諏訪部さんが出られるイベントのチケットが貼ってありました。
「イヤシノウタ」著・吉本ばななの本を読んで
イヤシノウタ(本)を読んだ感想
好きな作家さんの一人でもある吉本ばななさん。
実はこの方には個人的な思入れがある。
1996年の大学入試センターで「TUGUMI」が現代文で出題された。
私は受験したわけではないが、センター国語の過去問を解いた時に、なんて清々しい文を書く人なんだろうと感動したのを覚えている。
自分にとっては未だ頭に残る問題(文章)だ。
イヤシノウタを読んで一番心にささった所
心にささる言葉は随所に散りばめられているし、読みながら泣いた所も多々ある。
それでも、その中から選べと言われたら。
“かけらたち”
しかし私も私の書いたものも、誰のことをも癒すことはできない。
ただ、その人の中に埋まっているその人だけの癒しのコードに触れて、活気づけることはできる。自分の足で歩む力を奮い立たせることはできるかもしれない。
私にできるたったひとつのことは、そのことだ。
私はこの文を読んだ時、医療も同じだ。詩を書くことも詠むことも一緒だ!!!
と思った。
医療も、
医療行為は、患者さんの体の中で働いてる免疫機能を助けることであって、
私たち医療者が治しているわけではない。
患者さん自身が、自分で、自分の身体を治している
それを手助けすること、元気がなさそうな体には大丈夫?と声をかけてあげること。
私が思う医療の本質はそこだと思う。
詩だって同じことだ。
私が綴った言の葉たちが、
誰かの世界を揺さぶっても、それは私が揺さぶったのではない。
貴方自身の魂が、貴方を揺り動かすのだ
「驕るなよ」
そう、ばなな先生に言われた気がした。
身がしまる。
イヤシノウタを読んで二番目に感動した所
ここでは二番目に私が感動した所を紹介。
“吉夢”
夢の中の私はカフェのテラス席に作られた壇の上で人々に向って話していた。
(中略)
五分間の休憩の後に質疑応答ということになって、私はトイレに行き、ああ、難しい質問が来たらどうしようかなと思いながら少しうんざりしていた。
(中略)
飲んで、司会の人とちょっとおしゃべりして、客席を見たらかなりの人が帰ってしまっていた。
瞬間、深くがっかりした自分に驚いた。
人前に出る仕事は本業ではないので、相手がたったひとりでもかまわないといつも心から思っているからだ。
(中略)
すると、もう気持ちはしっかりしてきた。
残っている人がいるんだ、いいことを言おうと思った。
明るい気持ちで椅子に戻りさっと顔を上げたら、そこに残っていたのは、昔からのなじみのファンの人ばかりだった。
(中略)
この人たちの家には私の本がある。いっしょに暮らしているんだ。私とずっといっしょに歩いてきてくれた人たちなんだ。
そう思ったら、嬉しくて自然に笑顔になった。
ひとりひとりの質問に、さあ答えるぞと私は思った。
すごく新しい気持ちだった。
目が覚めたとき、私は思った。いっそうだれひとり、どの状況も侮ることなく生きていきたいと。
最高かよ……。
いっそう、だれひとり、どの状況も、侮ることなく、生きていきたい。
自分は今、フォロワーさん増えたらいいなぁという活動をやっているが、
数だけあってもしょうがない気持ちになる。
今、フォローしてくれる方を大事にしていこう。
この記事を読んでくれる貴方も、ありがとう。
その他いろいろ
私が一番感動した所は、
“神の声”
ばななさんがお父さんの死に方について考えている所。
号泣しましたよ。なんというか自分を大事にしようと思った。
二番目に心にささった所は、
「そうすると小説が濁る。」(“誘惑”から)
濁る。
いい言葉。
ぜひ本を読んでみて。
この本を手にとったキッカケになった言葉は
“大好き”
性欲とか独占欲とかそういうのではなくて、こんなふうに人を好きでいられるのが一番いいんじゃないかな、と思った。
自分も推しの方に対して、こんな風になりたいな、と思わせてくれたことば。
でもやっぱり諏訪部さんが好きだ笑
最後に、
ほんとはAmazonアソシエイトはりたいけど!
(急に俗世に戻りました。)
申請が通りませんでした。
なのでなにも貼りません!笑
みんな、図書館で借りよう。
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声優養成所の入所試験を受けてみた・体験談
声優養成所のオーディションをうけた体験談
はじめまして。今回は実際に受けた養成所の入所試験について、詳しく書いていこうと思います。これから試験を受けられる方は参考にしてください!
私が受けた養成所は日本ナレーション演技研究所です。ここの基礎科を受けました。
声優養成所の試験を受けるまで
入所申請書(詳しくは前回の記事声優養成所の試験を受けるための提出書類 )を出したあと、調査書(下の写真)がおくられてきます。
試験当日に提出します。それまでに書き込んでおきます。
声優入所オーディションの会場
私は2019年3月に日ナレの難波校で受験しました。
その時点でのお話になることを心に留めておいてください。
※試験問題は変わる可能性があります
難波校を上からみる見取り図はこんな感じです。
試験が始まる30分くらい前についたので、手前の待合室で、ほかの受験生と待っていました。試験時間は1時間です。※実際、1時間以内に終わりました。
1時間毎に受験生が変わるので、自分の試験開始の1時間以上前に行っても、待つ場所がありません。注意しましょう。
私の時間帯の受験生は全部で8人でした。この8人全員で一緒に試験を受けます。
試験会場の拡大図を下にのせておきます。8人の受験生に対して、試験官は1人でした。私の番号は6だったので、その番号の所に座っています。
実際の声優養成所・入所試験内容
流れ的には、筆記試験→実技試験→質疑応答という順番です。
筆記試験
A4、1枚ほどの紙を渡されて、問題を解きます。15分です。
※すみません、問題は少しうろ覚えの所もあります。
・以下のものを使った漢字を三つ以上
ごんべん、しんにょう、りっしん、てへん
・ことわざの意味を選べ(選択肢3つ)
蛍雪の功、漁夫の利、?(覚えていません)
・それぞれ、著者と本の名前を線で繋げ
・以下の2つのうちから、どちらか選んで書け(6行ほど)
長所と短所 or 今までの自分とこれからの自分
実技試験
1.自己PRを30秒で(過ぎたら止めるが、減点なし)
2.セリフなどを言う
紙を渡されて、3分間それを読む
(アクセントなどは調べてはいけない)
a.言葉を言うだけ。ゆっくり、はっきり!早口言葉ではない。
ソーセージを差し出す、濡れ衣を着せて馴れ馴れしい主婦など
b.演技つけて言ってみる感じ
ほら、みてみて!宝クジ、買っちゃった!当たったら旅行いくとか、あれもしたい、これもしたい、もう全部したい!ホント夢がふくらむなぁ。えっ?大丈夫大丈夫。妄想はただなんだしさ。あ、もうこんな時間!バイト遅れちゃう!じゃあね、行ってきまーす!
c.状況に応じたセリフ
鏡の中の自分に向かって「頑張れ」
オーディションの待合室で「おはようございます」
山の頂上から「ヤッホー」
基礎科と本科志望で問題が変わっていた。本科の方はガチめのセリフだけ。
3.質疑応答
自分は
何か演技経験はある?
将来、どうなりたいとかは?
詩はどこまでのものができてる?
詩は誰かに評価されたい?
他の子
未成年の子には、親御さんについて聞いていた。
自分の長所を一言で。
声優になりたいと思った決定的なものは?
以上で入所試験は終わりです。
これから受けようと思っているかたは参考にしてみてください!
※ツイッターやってます!
受験生が落ちた時に感じること
受験生が落ちた後、少し経ってから感じること
深夜にこんばんは。
私は受験にほにゃらら回落ちましたが、
結果発表シーズンにつきまして、その時を振り返ってみます。
全部に共通して言えるのは、
落ちた瞬間ってその衝撃がまだこない。
ただ、後から後から自分の頭の中で鈍い音が響くんだよ。
ゴーン、ゴーンって。
現役・玉砕
まぁ、この時はしょうがないと心のどこかで思ってました。
自分はセンター七割程しかとれておらず、二次対策もできていませんでした。
でも、落ちるかもしれないという中で、それでも僅かの希望をかけて二次に向けて勉強し、学校の先生や予備校のテキストなど、できること、やれる事を精一杯やってました。
ただ、学校のある先生からは
「ちゃんと壁にぶつかって砕けるように」
との言葉をいただき、
凄く悔しい思いをしたと同時に、
この先生は私に期待してくれていないんだ……と愕然とし、
でも私の状況って理性的にみたら玉砕受験なんだ…と悲しくなりました。
じゃあ、一体なんの為に頑張っているのか?
と自問自答しつつも受験→前期玉砕→後期玉砕となりました。
今、振り返って、
何故、ほぼほぼ落ちると思っていたのに、あんなに勉強したのか?
➡︎それでも0.01%の受かる確率にかけたから。
ちゃんと、砕け散るために。
自分の出来得る限り、最大限の努力をもってしても、ダメだったと。もちろん、あれやればよかった等の後悔はたくさんある。しかし、下手に砕け散れず、「落ちたのは俺の実力が発揮できなかっただけだからだドヤ」みたいな事にはならないよう。不十分かもしれないが、もてる力を全て出し切るため。
一浪目・数点差で落ちる
この時はさすがに辛かった。。。
センターは八割三分ほど。
あとは二次で、少しいい点とれればいける、という状況だった。
二次試験。
物理大問、一つ、全く分からず。
解いてる最中、あぁここ自分が苦手で後回しにしてた所だ…なんでやってなかったんだと自責の念。しかし、出来る限りのことは解答用紙にかく。白紙では出さない。
帰り。
受験した場所は雪が降っていた。
駅へ歩いていると、雪が吹雪いてきた。
面接後のため革靴。スーツ、スーツケースごろごろ。
意気消沈と寒さのダブルコンボで、どこでもいいから屋内に入りたくなった。
止まっている路線バスを発見。
ドアをこんこん。
バスの乗車客が気づいて運転手に教えてくれる。
運転手、手を左右にふる。
私は歩いていた道をまた歩き出す。
もうね、泣いてたよ。
二度とこの場所こねぇ!!!
受かったら来てやる。
落としたら、二度と足を踏み入れん!!!
と心の中で荒れ狂ってた。
結果発表は、携帯でみたんだが、ちょっとここでは収まらんw
とにかく、マジの茫然自失だったとだけ言っとく。
今振り返って思うことは
➡︎自分を過信してた。自分の実力よりも、ちょっと良い所を受けてしまった。
一浪したから、なんとかなるのではないか?という謎の自信。
もちろん勉強はしたが、二次で頑張らないといけない所が出来ず、落ちてしまった。
二浪目・玉砕
なんで二浪目、玉砕したかというと
センター後に、崩れたから。
センターは一浪目よりちょっと下くらいで、まぁまぁだったんですが、
その後、ネットを解禁してしまったっっっw
もうね、おワタですよ。おワタ祭りですよ。
勉強しなきゃなのにできなくて
心と裏腹にネットみちゃって
これはギャンブルが嵌るのと同じじゃないか?
本当の私の本質はネット見たい欲求なのか?
私は人間としてどうなのだろう?本当に人なのか?
など、完全に自分を責めてる状況で、試験に突入しました。
あと、勉強もしていなかったので、
メンタルも、学力も、全くなかったです。
そりゃ落ちますわ。
この時は、落ちたというショックより、
完全に自分の思考自体が停止してました。
ほんとに人間やめるレベルで落ちてたと思います。
そこから肉親が引き上げてくれたのですが、
書いてるとキリないので、また後日。
今振り返って思うこと
➡︎ネット解禁はあかんw
実はWeb制限をかけていたのだが、
母親から、私大の合格発表をみてと言われ、いや、私、制限かけてるし…
私・(今、制限外したら嫌な予感するな…)
母・いいからみなさいっ!!!
私・はい。
制限外す(自分でできた)→私大落ちてる→遊ぶ→おワタ
どんなに外野があれこれ言っても、自分の嫌な予感は信じるんだw(という外野)
三浪目・玉砕
二浪したあと、新潟に出奔して米をつくってたw
ほぼ一年間!
田植えから稲刈りまで。
とりあえず、センター前に帰ってきて、直前から詰め込んだ感じかな。
センターは八割ちょっと。一応、二次も頑張ったけど、やっぱりダメだった。
感覚が戻ってなかったから、これは納得の…
となるわけない
別に勉強してなかったからとか
時間がなかったからとか
そんな言い訳いっぱいできるし、事実そうだけど、
悔しいもんは悔しい。
二浪のときもそうだったけど、
どんなにやってなくて
どんなにやる気がなくても
受けた試験が落ちるのは
例外なく悔しかった。
たとえそれを口に出す資格がないとしても。
今振り返ってみて
➡︎単純に時間が足りなかっただけ。と思う。
正直、学力の伸びは、勉強すれば一浪でだいたい上限までいく。
その後は緩やかに上下しながら、運とか絡んでくる。
二浪〜四浪でやってたことは、穴をなくすローラ作業。
ペンキの塗り直しみたいなもの。
私の学力はこんな感じ↓
とりあえず、今落ちた子に言いたいのは、
人格否定までいくなよ。
試験はほんと、全てだけど、
君の全てではない。
※ツイッターやってます!
無骨に路を愚かに究めたく…ない
ブログをかきたく…ない
ブログってなんだろう……
最初、始めた時はお小遣い稼ぎぐらいになるかな…とか
自分が思ったことや、書きたいことを書いていけばいいじゃん…とか
3ヶ月とか楽勝楽勝…とか
思ってたよ!!!
なめぷしてたよ!!!
ごめんなさい!!!
あやまるから許してーーー!!!!
自由ネコさん曰く、
完全にガチで、ブログ初心者向けに「やること」を解説する - 自由ネコ
ブロガーは概ね二つのタイプに分かれると
ポエム派とビジネス派だ。
私は、読まれないブログほど哀しいものはないと思う。
だから、これを読んでくれる貴方に、めちゃくちゃ感謝している。
いつもありがとう。
ビジネスが目的か、と問われたら根本的には違う。
アクセス数伸びなくていいのか、と問われたら違う。
読んでくれる人を増やしたい。
読んでくれるような、ブログを書きたい。
お金がついでとか、思ったら、多分だめなんだ。
いや、ついででも良いんだけど、心持ちの問題だな。
ビジネス派か、ポエム派か
ビジネス派だね。
声優になるために、声優の養成所いって練習するのと同じように、
ブログにおいても、本読んで、セミナー行って、動画とかみて、練習しないとダメなんだよ。
途中を飛び越せない。
学生社長のむっちゃん (@realnet_yuyasan) が教えてくれた。
でもそれって受験勉強と同じだ笑
いきなり成績がよくなることなんてないし
いきなり勉強ができるようになることもない
いきなり稼げるようになんてならない
シロウトは。
日々、勉強を積み重ね
日々、記事を書き
模試の結果が出ればそれを見て自分の勉強を変えたりし
記事のアクセスや売上をみてブログの構成を変えたりし
最初はしっちゃかめっちゃかで、
何をやればいいのかわからなくて、
手当たり次第やり
段々と感覚をつかんでいく
つかめるかわからないけど笑
ここでも一から勉強だ。
ビジネス派詩人として。ポエム派にもまけん。
ブログを書けぇぇぇ!!!
※ツイッターやってます
異界とは。自分の趣味をひたすら書く。
おはようございます。インフルエンサーにのる戦略、失敗しました。
まぁまぁ落ち込んでいます。
振り返れるようになったら記事にまとめます。
なので今回は自分の好きなことをひたすら語ります。
語ります。
SEOとか、読者目線とか、何も考えてません。
語ります。
【中古】 思春期をめぐる冒険 心理療法と村上春樹の世界 /岩宮恵子(著者)
そもそも異界とは
「異界」という言葉は、岩宮恵子先生が使われている言葉です。
簡単にいうと、異界とはあの世のことです。
でも待ってください。あの世ってどこだと思います?
あの世とは、彼岸の向こう側、という意味だけではありません。
もちろん、厳密にいえば、死後の世界という意味で使われると思います。
あの世とは、私たちがもつ、内在する世界のことも示します。
内在する世界とはなんぞや?
精神世界、と一括りによくされていますが
精神世界といっても、意識上と意識下(無意識)で全然ちがいます。
意識下(無意識)というのは、潜在意識ともいわれます。
この潜在意識に働きかけるのが、アートだと自分は勝手に思っています。
私が好きなのは、武田双雲さん書。
潜在意識というのは、各個人毎に持ってるように思われがちですが、
潜在意識は地下水脈で繋がっています。
つまり、各個人毎にもつ、というより、人類全体として持っているものです。
我々個人がもつ潜在意識はあることにはありますが、その地下水脈から汲み上げたものです。
話が飛躍しすぎましたか?
合ってるかわかりませんが、ユングの集合的無意識に近いと思います。
柳田邦男が、集落によって異なる“物語”は突き詰めれば同じことになる、みたいなこと言ってた気がします。※確証はない
話を元にもどしましょう。
異界、あの世、内在世界、潜在意識。
村上春樹の本では、よくこの異界が出現します。
これは岩宮恵子先生の本で説明されています。
異界を渡る
私は異界に潜ったことがあります。
前にもちらっと語りましたが、
二浪して玉砕したとき、あの世の釜の淵がみえました。
私はその淵から釜を覗き込んでいて、覗き込んでいるのは私以外にも幾人かいました。
その淵から釜の底をみているのですが、
底が見渡せないのです。
本当の暗闇。
ただただ、何もない。
私もあの暗闇に帰るんだ。と漠然と思いました。
多分、あのままいたら、私はこちらの世界には帰ってこれなかったと思います。
私という肉体はあっても、その中に私という存在はいなかったでしょう。
そこから引き上げてくれたのは母親の存在でした。
完全に機能が停止しかけている自分を引っ張り上げて、こちら側に戻してくれた。
肉親の力ってすごいですね。
そこから米作りに出奔したり、とそれからもなんやかんやありましたが、
あそこまで深く、異界に潜ったことはあれ以来ありません。
異界を渡る、と書きましたが、
命、かかってます。
命がけの行為です。
でも、浅くなら、誰でも潜っては浮上し、潜っては浮上し、を繰り返していると思います。逆に、この異界に潜ったことのない方もいるかと思いますが、そんな方はここまで読む前にわからなすぎてリターンしてると思います。自分の説明が下手なので尚更。
セラピストなどは、一緒に異界渡りに付いてきてくれて、帰り道を教えてくれる役割だと思ってます。“物語る”というものは、異界渡りにちかしいものを感じています。
世界を変える
ここまでついてきてくれた読者の方はわかると思いますが、この世界という言葉も、世の中という意味だけでなく、人の内在する世界という意味があります。
世界には層があります。
自分が意識できる層。
自分の地下水脈。
人類全体共通のわけわからんもの。
各層ごとに、世界が違います。それは異界と呼んでもいいし、あの世とよんでもいいし、わけわからんがとにかく巨大なあるもの、なんて呼び方もいい。
この世界を変えていくのがアート。
こんな世界があるんだよ、と働きかけてくれるのがアート。
私は、死んだら、人類共通のわけわからんものに、帰っていくんだと思ってます。
その帰るお手伝いをするために
体からのアプローチが医療
意識に働きかけるのが声
どちらも欠けてはならないもの。両輪。
だから私は声をやりたいし、医療の道を進みたい。
そして、生きている人に対しても、こんな世界あるよーと伝えたいのが、
ことば、詩、声、なのかな。
今の医療は、表層世界に専心しすぎてて下の世界が足りない。もちろん精神科、という学問はあるけど。そこも変えていけたらいいな、という私の呟き。
まだ始めたばかりだけど、私の原動力はこんな感じです。
上手くことばがみつからないな。
読んでくれてありがとうございます!
増補 思春期をめぐる冒険:心理療法と村上春樹の世界 (創元こころ文庫)
※ツイッターやってます