「イヤシノウタ」著・吉本ばななの本を読んで

イヤシノウタ(本)を読んだ感想

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イヤシノウタ・吉本ばなな

好きな作家さんの一人でもある吉本ばななさん。

実はこの方には個人的な思入れがある。

 

1996年の大学入試センターで「TUGUMI」が現代文で出題された。

私は受験したわけではないが、センター国語の過去問を解いた時に、なんて清々しい文を書く人なんだろうと感動したのを覚えている。

自分にとっては未だ頭に残る問題(文章)だ。

 

イヤシノウタを読んで一番心にささった所

心にささる言葉は随所に散りばめられているし、読みながら泣いた所も多々ある。

それでも、その中から選べと言われたら。

 

“かけらたち”

 しかし私も私の書いたものも、誰のことをも癒すことはできない。

 ただ、その人の中に埋まっているその人だけの癒しのコードに触れて、活気づけることはできる。自分の足で歩む力を奮い立たせることはできるかもしれない。

 私にできるたったひとつのことは、そのことだ。

 

私はこの文を読んだ時、医療も同じだ。詩を書くことも詠むことも一緒だ!!!

と思った。

医療も、

医療行為は、患者さんの体の中で働いてる免疫機能を助けることであって、

私たち医療者が治しているわけではない。

患者さん自身が、自分で、自分の身体を治している 

それを手助けすること、元気がなさそうな体には大丈夫?と声をかけてあげること。

私が思う医療の本質はそこだと思う。

 

詩だって同じことだ。

私が綴った言の葉たちが、

誰かの世界を揺さぶっても、それは私が揺さぶったのではない。

貴方自身の魂が、貴方を揺り動かすのだ

 

 

「驕るなよ」

 

そう、ばなな先生に言われた気がした。

身がしまる。

 

イヤシノウタを読んで二番目に感動した所

ここでは二番目に私が感動した所を紹介。

 

“吉夢”

 夢の中の私はカフェのテラス席に作られた壇の上で人々に向って話していた。

(中略)

 五分間の休憩の後に質疑応答ということになって、私はトイレに行き、ああ、難しい質問が来たらどうしようかなと思いながら少しうんざりしていた。

(中略)

 飲んで、司会の人とちょっとおしゃべりして、客席を見たらかなりの人が帰ってしまっていた。

 瞬間、深くがっかりした自分に驚いた。

 人前に出る仕事は本業ではないので、相手がたったひとりでもかまわないといつも心から思っているからだ。

(中略)

 すると、もう気持ちはしっかりしてきた。

 残っている人がいるんだ、いいことを言おうと思った。

 明るい気持ちで椅子に戻りさっと顔を上げたら、そこに残っていたのは、昔からのなじみのファンの人ばかりだった。

(中略)

 この人たちの家には私の本がある。いっしょに暮らしているんだ。私とずっといっしょに歩いてきてくれた人たちなんだ。

 そう思ったら、嬉しくて自然に笑顔になった。

 ひとりひとりの質問に、さあ答えるぞと私は思った。

 すごく新しい気持ちだった。

 目が覚めたとき、私は思った。いっそうだれひとり、どの状況も侮ることなく生きていきたいと。

 

最高かよ……。

いっそう、だれひとり、どの状況も、侮ることなく、生きていきたい。

 

自分は今、フォロワーさん増えたらいいなぁという活動をやっているが、

数だけあってもしょうがない気持ちになる。

今、フォローしてくれる方を大事にしていこう。

この記事を読んでくれる貴方も、ありがとう。

 

その他いろいろ

私が一番感動した所は、

“神の声”

ばななさんがお父さんの死に方について考えている所。

号泣しましたよ。なんというか自分を大事にしようと思った。

 

 

二番目に心にささった所は、

「そうすると小説が濁る。」(“誘惑”から)

 

濁る。

 

いい言葉。

ぜひ本を読んでみて。

 

 

この本を手にとったキッカケになった言葉は

 “大好き”

性欲とか独占欲とかそういうのではなくて、こんなふうに人を好きでいられるのが一番いいんじゃないかな、と思った。

自分も推しの方に対して、こんな風になりたいな、と思わせてくれたことば。

でもやっぱり諏訪部さんが好きだ笑

 

 

 

最後に、

ほんとはAmazonアソシエイトはりたいけど!

(急に俗世に戻りました。)

申請が通りませんでした。

なのでなにも貼りません!笑

みんな、図書館で借りよう。

 

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